2025年10月、防衛省が「防衛力変革推進本部」の会議で、安保三文書の改定に向けた検討を開始するという方針を明らかにしたことが報じられました。安保三文書という言葉自体はニュースで見聞きしたことがあっても、具体的に何を指すのか、なぜ今改定を急ぐのか、説明できる方は少ないのではないでしょうか。
実は、安保三文書をめぐる動きには、防衛省の内部組織である防衛力変革推進本部だけでなく、2022年から設置されている「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」という、防衛省の外側にある別の会議体も関わっています。両者がどのような役割分担にあるのかを理解すると、安保三文書改定という一つのニュースの背景がより立体的に見えてきます。
本記事では、①安保三文書とは何か、②なぜ今改定が前倒しされているのか、③有識者会議はどのような役割を担うのか、という3つの論点を順に整理し、最後に両者の関係を明らかにします。
- 安保3文書=2022年12月策定の国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画の総称
- 2025年10月24日、政府は対GDP比2%達成の前倒しと3文書改定の検討開始という方針を示した
- 2022年設置の有識者会議は防衛力変革推進本部とは別組織で、総合的な国力の観点から横断的に検討する場
「安保三文書」とは何か ― 外交・防衛の最上位計画

「安保三文書」とは、2022年12月に策定された国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画の3つの政策文書を指す通称です。いずれも策定は2022年12月ですが、性格の異なる文書が階層構造を成している点がポイントです。
国家安全保障戦略は、外交・防衛だけでなく経済安全保障、技術、サイバー、情報などを含めた国家安全保障政策の最上位文書で、おおむね10年程度先を見据えています。この戦略のもとで防衛分野の目標と手段を定めるのが国家防衛戦略で、従来の「防衛計画の大綱」に代わる文書として初めて策定されました。さらに国家防衛戦略を実現するための具体的な体制・予算・装備数量を定めるのが防衛力整備計画で、こちらは従来の「中期防衛力整備計画(中期防)」に代わるものです。3文書の関係を整理すると次のようになります。
| 文書名 | 位置づけ | 主な内容 |
|---|---|---|
| 国家安全保障戦略 | 最上位の政策文書 | 国益、安全保障環境の認識、外交・防衛・経済安保等の戦略的指針 |
| 国家防衛戦略 | 防衛の目標とアプローチ | 3つの防衛目標、7つの重視能力、反撃能力の保有明記 |
| 防衛力整備計画 | 具体的な体制・予算 | 5ヵ年(2023〜2027年度)の経費総額・装備品の整備数量 |
国家防衛戦略では、無人アセット防衛能力や領域横断作戦能力(宇宙・サイバー・電磁波)など、防衛力の抜本的強化にあたり重視する7つの能力が示されたほか、武力の行使の三要件を満たす場合に相手の領域で有効な反撃を加える「反撃能力」の保有が明記されました。専守防衛の考え方自体は変更しないとされています。防衛力整備計画では、2023〜2027年度の歳出総額を43兆円とし、2027年度に防衛関連予算を対GDP比2%水準に引き上げる方針が定められました。
なぜ今、改訂が前倒しされているのか
この3つの文書の策定から約3年が経過した2025年10月24日、防衛省は「防衛力変革推進本部」の会議で、政府としての新たな方針を明らかにしました。この会議は、従来「防衛力抜本的強化実現推進本部」という名称でしたが、この日に改称されたものです。事務次官や統合幕僚長ら組織の中核メンバーが「自ら変わらなければならない」という思いを小泉進次郎防衛大臣に伝えたことを経て、防衛省・自衛隊自身が変わるという意思を名称に込めたといいます。
会議の冒頭、小泉防衛相は総理から、現行の国家安全保障戦略が掲げる対GDP比2%水準の達成を前倒しすること、そして三文書の改定を目指して検討を開始することについて方針が示されたと発言しました。あわせて「遅すぎることはあっても、早すぎることはありません」と述べ、これまでにないスピード感での議論を求めています(参照:防衛力変革推進本部会議 大臣冒頭発言 | 防衛省・自衛隊)。
小泉防衛相はまた、内閣改造での留任時に行われた9月18日の訓示で、安保三文書の改定は「我が国と地域の未来を左右する」「安全保障環境も楽観視できる要素は皆無」と述べました。(参照:小泉 進次郎防衛大臣の訓示 | 防衛省・自衛隊)
こうした発言の背景にあるのは、インド太平洋地域における中国・北朝鮮の軍事力増強、中露の連携強化や露朝の接近といった安全保障環境の急速な変化です。加えて、ウクライナ侵略の教訓を踏まえ、各国が無人機の大量運用を含む「新しい戦い方」や長期戦への備えを急いでいることも、改定の前倒しを後押ししているとみられます。この会議で検討を求められる論点は多岐にわたります。
- 無人機など「新しい戦い方」への対応と継戦能力の強化
- スタンド・オフ防衛能力のさらなる強化(潜水艦への垂直発射システム搭載検討を含む)
- 日米同盟の相互運用性・練度の向上
- 防衛装備移転三原則の運用指針見直し
対GDP比2%という数字の前倒しは、外務省をはじめ他省庁の予算にも影響しうるテーマであり、令和9年度概算要求でも安全保障関連の予算が拡大するなど、政府全体で足並みをそろえる動きが見られます。
有識者会議とは何か ― 「総合的な国力」を横断的に検討する場
三文書改定の動きと並行して、防衛省の外側でも安全保障に関する検討が進んでいます。それが、2022年9月22日に内閣総理大臣決裁で設置された「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」です(令和8年4月20日付で一部改正)。
この会議の趣旨は、外交力・防衛力・経済力・技術力・情報力・人材力という「総合的な国力」を強くし、あらゆる政策手段を組み合わせて安全保障環境に対応することにあります。自衛隊の装備・活動を中心とする防衛力の抜本的強化だけでなく、海上保安能力、研究開発、公共インフラ整備、サイバーセキュリティ、同志国への国際協力といった政府横断的な取り組みを整理し、これらを含めた総合的な国力の観点から安全保障の確保を検討する場として位置づけられています。
会議は内閣総理大臣が開催し、高い識見を持つ有識者15名で構成されます。座長は互選で決まり、庶務は内閣官房が担当します。2026年に入ってからは第1回(4月27日)、第2回(6月8日)、第3回(8月4日)、第4回(9月17日)と会議が重ねられています。
第3回会議では、経済安全保障政策の目標を「揺さぶられても崩れない国家」とする方向性のもと、防衛力・外交力に経済力・技術力・情報力を統合した総合的な国力の強化を最優先課題とする認識が共有されました。委員からは国家安全保障戦略に「集団的経済安全保障」の概念を導入することや、国力の要素に新たに「人材力」を加えることなどが提言されたほか、海外製AI・クラウドへの依存リスクを踏まえた日本のデジタル主権の確立、経済安全保障重要技術育成プログラム(通称:Kプロ)における技術選定の見直しといった論点も交わされました(参照:総合的な国力から安全保障を考える有識者会議(第3回)議事要旨 | 内閣官房)。
もともとこの有識者会議は、2022年12月の安保三文書策定に先立って設置された組織であり、防衛省が主体となる三文書改定の議論そのものを直接担当する場ではありません。ただし、経済安全保障や技術力・情報力といった非軍事分野は国家安全保障戦略にも共通するテーマであり、有識者会議での議論が、今後の三文書改定に反映される非軍事分野の検討に一定の影響を与える可能性があるとみられます。
有識者会議と防衛力変革推進本部の違い ― 混同しやすい2つの組織
ここまで見てきたように、安保三文書の改定をめぐっては「防衛力変革推進本部」と「有識者会議」という、名前も役割も異なる2つの組織が登場します。設置時期も目的も異なるため、整理しておきましょう。
| 項目 | 防衛力変革推進本部 | 総合的な国力から安全保障を考える有識者会議 |
|---|---|---|
| 設置時期 | 2025年10月24日に改称(前身組織は2022年設置) | 2022年9月22日設置 |
| 主催・所管 | 防衛省(防衛大臣が主宰) | 内閣総理大臣が開催、庶務は内閣官房 |
| 主な役割 | 防衛省・自衛隊内部での改定検討の推進体制 | 総合的な国力の観点からの政府横断的な検討 |
| 構成員 | 事務次官・統合幕僚長ら防衛省・自衛隊幹部 | 経済界・学界・金融界等の有識者15名 |
両者を混同しやすいのは、どちらも安保3文書というキーワードに関わっているためです。しかし防衛力変革推進本部は防衛省内部の推進体制であるのに対し、有識者会議は防衛省の枠を超えて経済・技術・情報といった非軍事分野を含めた検討を行う場という違いがあります。
この違いは、2026年8月上旬に相次いだ両組織の動きにも表れています。8月3日、防衛省は防衛力変革推進本部において現行の国家防衛戦略・防衛力整備計画の評価をまとめ、無人アセットの大量使用への対応の遅れ、経空脅威対処の高コスト化(安価な無人アセットによる飽和攻撃に対し、攻撃側と防御側のコストに約140倍の差があるとの試算)、2022年度に108円だった対ドル為替が2026年7月には157〜163円台まで円安が進行したことによる装備品価格の上昇(哨戒艦は約60%増)など、防衛力そのものが直面する課題を整理しました(参照:現行の国家防衛戦略・防衛力整備計画の評価(課題と今後の方向性) | 防衛省・自衛隊)。
一方、その翌日の8月4日に開かれた前述の有識者会議第3回では、経済安全保障やデジタル主権といった非軍事分野の総合的な国力強化が議論されており、同じ週に開かれた2つの会議が、それぞれ異なる角度から3文書改定に向けた材料を積み上げている様子がうかがえます。
ニュースで「安保三文書の改定」という話題に接した際は、どちらの組織の動きを指しているのかを意識すると、報道の理解がより正確になるでしょう。
2026年10月時点の議論と今後の焦点
2026年10月時点で、安保三文書は年末までの改定を目指す方針です。具体的な決定時期は示されていませんが、現行の文書が2022年12月16日に決定されたことを考えると、今回も同じ時期になるとみられます。8月上旬には防衛力変革推進本部と有識者会議がそれぞれ検討材料を示し、9月17日の有識者会議(第4回)では、国家安全保障局が「総合的な抑止力・対処力強化のための政府横断的な取組」を説明しました。次回会合は10月下旬に予定されています。(参照:総合的な国力から安全保障を考える有識者会議(第4回)議事要旨)
抑止力の強化と国民の理解を求める声
第4回の議事要旨によると、外交力や防衛力に加えて政府横断的な取組で総合的な抑止力・対処力を高め、「あらゆる危機に社会全体で備える」という方向性には、大多数の委員が肯定的でした。現行戦略の進捗をめぐっては、弾薬・誘導弾の保有量や国内の増産体制、同志国からの取得を含む継戦能力の強化、自衛官定数の100%充足、長射程で高精度な大型ミサイルの開発・保有が必要だとの意見がある一方、物価上昇や為替変動、装備品価格の上昇で、従来の予算規模では予定した装備品を取得できない状況も生じ得るとして、国民に納得感のある説明を求める声もあります。
原子力潜水艦の議論も
原子力潜水艦も論点になりました。垂直発射装置(VLS)を搭載する潜水艦には、長時間の高速航行と大きな電力を確保できる原子力推進が必要で、原子炉の開発や艦の建造、乗員の養成に10年単位の時間がかかるため、次期三文書に導入を明記して準備を始めるべきだという意見が出ています。これに対し、必要性は理解できるものの、現在の自衛隊の組織を大きく超え、原子力の安全性や管理の問題もあることから、現時点で導入の結論を出すのは難しいという意見もありました。ただし、検討自体は否定せず、三文書に「検討する」と書くことはあってよいとしています。議事要旨は委員個々の意見をまとめたもので、有識者会議としての結論ではありません。三文書にどこまで書き込まれるかが、焦点の一つです。
AI・認知戦への対処
技術・経済安全保障の面では、今回の三文書で初めてAIが中核的な位置を占めるとの見方が示されました。「AI主権」は独自のAIを作ることではなく、世界のAIへのアクセスを確保しながら自律的なコントロールを保つことだとされ、海外依存をなくすのではなく「退出困難な依存」を避けるべきだという考え方も示されています。
認知戦については、防衛力強化が「新型軍国主義」といった相手側のナラティブを補強しないよう、「何のために防衛力を強化するのか」を明確にして、戦略的コミュニケーションの体制と予算を整えるべきだとの意見が出ました。集団的経済安全保障の概念導入なども含め、これらは一企業・一分野にとどまらない横断的なテーマで、今後の議論が三文書改定の内容を左右するとみられます。
安保3文書という言葉は防衛・外交の専門用語に聞こえますが、そこに含まれる無人アセットの活用、AIによる意思決定支援、デジタル主権の確立といったテーマは、まさにドローン・AI・GISといった「新領域」に関わる技術そのものです。特に有識者会議で示された「保有主体の国籍ではなく、代替可能性と切替所要時間を軸にデータ主権を考える」という発想は、特定ベンダーへの依存度を見直したい企業にとっても示唆に富みます。安全保障の議論を自社の技術・サービスがどこで政策と接続しうるかという視点で追いかけておくと、政府の動きが具体化した際に一歩早く動けるはずです。
まとめ
安保三文書とは何か、なぜ今改定が前倒しされているのか、そして有識者会議がどのような役割を担うのか。それぞれ別々の話題として報じられがちですが、根っこでは「変化する安全保障環境にどう対応するか」という一つの問いにつながっています。今後の関連報道を追う際は、防衛省内部の動きなのか、政府横断的な検討なのかを見分ける視点を持っておくと理解が深まるでしょう。